2005年春から始まった発掘調査の概報をお伝えします。


by matsumotoken

ウムカイスに帰りたい

今日はついに3月1日となった。私が後藤君と来たのが1月18日、あっという間の1ヵ月半近く。今はイラク人の研修の毎日だが、イラク人の滞在、我々の発掘許可は未だに取れていない。この理由をどのように解釈すればいいのか、不可解なことが多い。最も申請書提出が遅れたから、最低3ヶ月前に申請しなければならないというだろう。またそうかもしれない。ただそれ以前は2週間でも足りたのだが、急にそれだけの理由で遅れた、あるいは許可しないとは不可解である。それによっては来年度の計画も練り直す必要性もあるかもしれないし、そのことも頭に入れとく必要がある。そうした中での研修である。毎日明日は何が出来るかと考えながらの研修である。
今日は西浦さんの保存科学についての講義である。私はこの間、ビザ特にシリア行きがこの研修後に予定をしているので、この時間を利用してシリア大使館へ出かけた。本来ならば長谷川先生というっしょにシリアのビザを取りに行く予定だったのだが、都合でシリアへいけなくなったとの連絡あり、急遽一人で行くことになった。そしてシリア大使館で東京のシリア大使館から入国ビザが送られて来ているはずなのでチェックしていただけないかと聞いたところ、パスポートを何度も開いて見て、まだ来ていないとの返事、いや日本のシリア大使館のこの人からと名詞のコピーを見せたのが、まだ来ていないと、まだ来ていないと念を押されてしまった。やっぱりなあという気持ちだった。恐らく東京で取れば取れるだろうけれど、東京経由では少々手間もかかるし、そういうシステムになっていないのかもしれないと思った。後で東京に連絡するしかない。
ということですぐにまた研修に戻り、びっしり研修。いろいろなイラクでの伝統的な日干し煉瓦の製作法、また灰、砂糖や塩を入れた上塗り法なども聞いて興味深い意見が出た。こうした伝統技法も現在の科学的やり方に取り込みながらの方法を編み出していくのも一つの方法であろう。12時半くらいで一応終了、その足でホテルにイラク人を送り、一度我々の宿舎で荷物を採って、一路ウムカイスへ向かった。空はすがすがしい、すばらしい透き通った天気である。3時頃につくとお客さんが来ていた、あまり話せなかったが、民博の日高という人であった、保存を専門にしているとのこと。少し部屋で片付けていると、やはりウムカイスは落ち着く。ここは何か暖かい感じで気分が落ち着き、居心地が良い。もちろん皆がいることもあるし、長いこともあるからであろうが、何か良い。
今朝は戸田先生と居残りの福原君が飯山君と庄司君を空港まで送って行ったそうだ。その二人は我々とほぼ同時にウムカイスに着いた。ちらりと見たウムカイスは一段と緑が濃くなっていた。キノコ狩りが盛んになっているとのこと。

保存科学の研修中
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通りに売っている坪、甕、鉢など
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ヨルダンDOAの修復ラボで働いていたイラク人デカ(Dheka)さん
20年以上前にイラクから日本に招聘されて、紙や織物などの研修を2ヶ月ほど受けた。
Professor Fujii, OGUCHIを知ってるかと聞いてきた。
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帰国前日のアンマンハウス前にて
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死海ではしゃぐ、シャバーブ達
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夢にまで見た、死海での無重力世界?
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by matsumotoken | 2007-03-02 00:35