2005年春から始まった発掘調査の概報をお伝えします。


by matsumotoken

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梅が丘キャンパス

通称梅キャンと呼んでいるが、国士舘大学の世田谷・梅が丘キャンパスのうち、新しく今建設中の一角に地域交流文化センター建物はすでに1年前に完成した。1階が生涯教育センター、2階にはイラク古代文化研究所の収蔵庫、展示室、実験室がある。2階のイラク研の設備はもともと鶴川の望嶽寮の西側にプレハブがあり、そこにイラク古代文化研究所が設置されていたものである。そのプレハブも大学の改築をしていた建設会社の現場事務所の建物の中古をいただいて建てられたというより移築されたものである。その後大学の方針として教員に一部屋づつ与えられた時に、我々も研究所を増築するか、それとも個人研究室に移るかということになり、結果として移ることになった。従そのプレハブの一部は資料の収蔵庫としての役割もあって、その部屋の中は恒温恒湿の部屋に管理されていた。ところが時が経つうちに部屋も換気扇などの機会も老築化して雨漏り、結露が激しくなり、納めてある古代織物などに影響が出てきた。そこで大学当局にお願いをして建物を建ててもらうことになった。この経緯は関係者の捉え方でいろいろあるが、とにかくどこかに収蔵庫、あるいは倉庫が必要であった。それが梅キャンである。
そういうことで、この梅キャンにおいては早く地域に、また学生に貢献しなければ
ならないのだが、残念ながら新築のため、化学物質が出て、すぐには使えないという専門家の意見である。昨日もその検査の報告書を東京文化財研究所からいただいた。まだ時間がかかるようだ。しかし4月からは徐々に会館にむけて準備をしていきたい。今はパネルの展示をしている。またビデオも流している。そして研究会も開いている。徐々に活動を広めて行きたい。活動の中でも文科省学術フロンティア「戦後イラクの文化遺産の社会資本てしての研究」はここに活動本部を置いている。
by matsumotoken | 2007-03-22 21:40

卒業式

 20日の午後2時から横浜アリーナで卒業式である。まだ横浜に行く前に研究室で書類の整理中に書いている。このところ卒業式、入学式、その他大学の行事に出席することが多い。それはイラク研所長という肩書きで出席する。一応壇上に上がって、卒業生を祝福する。これも教職員の仕事の内の一つである。昨年はディズニーランドのそばのホテルであったが、どうやら潰れたらしい。ただこれだけの人数(学生約2500人+ご両親1500人?=4000人)を一堂に会する場所は都内といえどもそう多くない。それはともかく
卒業生の諸君、卒業おめでとうございます。社会人になっても頑張って下さい。

行ってきました。卒業式
 会場はパシフィコ横浜でした。一昨日羽田から帰ってくる時によく見える横浜の風景の中の一つの建物、ヨットの帆の形をしたホテルのあるビル。この中にやはり3000人の学生と父兄など約1000人?とにかく3段になった客席も一杯であった。その中で博士、修士、学士の卒業、優秀賞の授与式、柴田徳次郎賞の授与、そして学長、理事長の祝辞などがあった。学長の夢のある話、理事長の現実の厳しさの中で卒業生として自信を持って頑張って欲しいとの祝辞であった。皆真剣に聞いていた。壇上から携帯で写真を撮って皆にも見せたかったが、撮れるような雰囲気ではない。学長、理事長、学部長などはガウンを着てなかなかの出立ちであったと思う。国士舘大学がこのようなガウンを着るようになったのは何時からか知らないが、正式のようだ。今では日本の大学でもこれが大学教授の正装になっているのだろうか?
それはともかく 
 卒業おめでとうございます。

卒業式会場
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by matsumotoken | 2007-03-20 10:09
 17日は江添さんが早朝、ウムカイスに到着。土器の整理、コインの撮影などをしたいとのこと。彼はこの一帯特にデカポリス(ヘレニズム、ローマ時代を通しての10都市連合組織)の研究をずっと続けているので、我が調査団にとっては貴重なこの地域の専門家の一人である。また今日はインクジェットのインクがウムカイスに来る日である。この番号付けも土器整理とともに進めてくれると有り難い。などの打ち合わせを終えて、戸田、江添さんと松本、後藤は別れて、アンマンの宿舎へ、そこでサバと会って、アンマン宿舎の管理の打ち合わせをして、アンマン飛行場へ向かう。夕方4時半の出発である。荷物は特に私物は持って帰ることはないのだが、何かと(イラク研修生からハイダルに渡してくれと頼まれた研究資料も含めると)増えて30キロも超してしまった。これはエクセスが取られるかなと心配だったが、後藤君も27キロ、しかし愛嬌のあるフロントの人だったので、無事通過。一路関空、羽田へ飛び立つ。今回の飛行機の度はアルコール抜きなので、今ひとつ寛いだ気分になれない、あまり眠ることもなく、古い映画を観るだけ、今ひとつと言うところ。ドバイで5時間程待ち時間があることから23ドル支払って「マルハバー」という休憩室(ビジネスクラスのラウンジのようなもの)に入る。私は食べてばかりいたが、それでも食べる量、種類にも限界がある、23ドルのもとはとれなかった気がする。この間、アンケートが来たので、寿司、天ぷらも置くようにと進言しておいた。それにしてもアンマンードバイ間の日本人客は少ないが、ドバイー関空間は日本人観光客で一杯、後は少々の欧州人と恐らくJICAの研修生らしき人である。この構造は何時も同じ客層である。それなのにコノエミレーツの映画を見てると、英語の場合の翻訳字幕は中国語、アラビア語である。やはり加えて日本語の翻訳版も置くべきではないのかと思う。日本人は漢字文化圏なので中国語の字幕で理解できる人もいるかもしれないが、早い会話調で書かれた中国語をツイ読もうとするので付いていけない。疲れるので別の英語版映画に替えざるを得ない、少々面白くない。
また関空につくと羽田まですぐに乗り換えて行ける手はずになっているのだが、これも具合が悪い、この便は何時も満杯であり、時々席がとれず9時半くらいの便に待たされることがある。今回も旅行会社の予定表では6時半の関空ー羽田間はOKだったが、航空券には9時過ぎの便になっていたので慌てて変更を申し込んで、ようやく空席待ちで6時半の便で帰ることができた。これは単に旅行会社のミスであるが、この便は何時も満席でキャンセル待ちをさせられる便であることは確かである。何とかして欲しい。
エミレーツと日本航空の共同運行なので、いろいろと権利の問題があるのだろうが、やはりドバイー羽田間にも飛ばして欲しい。関空から羽田に乗り継ぐ人がどれくらいの割合はすぐに解るし、割合が高いのは目に見えている。このところドバイは世界の文化,経済のセンターになることを目指していることからも航空サービスにも力を入れている,またドバイ空港も近代化、巨大化している。今でも24時間態勢で、ドューティーフリーショップも何時も盛況である。それに比べて日本の空港はどれも閑古鳥が泣いているような感じで暗くてサブイ感じ、活気がない。それはドバイやドゴール空港などに比べると歴然としている。といっても私はこのところ北回りで行くことが少なくなったし、JICAなど公的機関も南周りで行くことを奨励しているようだ。それにしても今回の飛行機はよく揺れた。久しぶりの上下に激しく揺れる体感であった。思い出したが前回の冬の1月末に帰国したときの関空は横揺れが激しく、強風注意警報がでていたらしく、関空では一度着陸態勢に入って着陸直前で、再度飛び立った、そして上空を旋回して再度着陸態勢に入り、何とか着陸。このときは誰かともなく拍手が出た。巧いというより、一安心からの拍手であっただろう。その点ではこのところ、高知空港やインドネシアなどでの事故があるのでやはり、私だけでなく皆さんも何となく着陸の時には機内に緊張感が漂っていたことに感じたであろう。そして少々遅れたが羽田にたどり着いた、羽田ではJICAの人でウムカイスにも来られた職員に人にであった。
また羽田には後藤君の彼女も迎えて来ていた。シャバーブは良いな〜。私もそういう時代があったけな? 
今日は研究所での事務所類のチェックで追われる。メールも巧く開かないので、情報科学センターの職員に手直ししてもらう。大沼さんにあったら、シリアでの発掘の許可出そうとのこと、発掘できるようになるとビシュリ山系のセム系問題の研究課題にそった研究が進むであろう。
by matsumotoken | 2007-03-19 18:08
 今年の春もまた新たに学部、大学院ともに新入生が入ってくる。このウムカイスも今から面白くなる。ただ調査方法はかなり変わってきてコンピュータなどを取り入れた方法が取り入られており、パソコンは必須だ。その技術は工学部、理工学部の基本的な調査、分析方法に伴う技術でもある。したがってこうしたパソコン技術は最低身につけておく必要がある。また今までの調査方法を心得ている研究者にとっても最低理論はわかっておく必要がある。そうでないと考古学、歴史学の研究方法も時間と経費だけが掛かって結果は先延ばしになってしまうことになる。それだけではない、多くの報告書に記述された貴重な成果もデジタル化においていかれてしまうことになりかねない。ということが若き研究者である小野さんや後藤君のパソコンを使った調査研究法を見ていると実感した。自らすべてを使うことはできないが、その利用方法は知っておく必要がある。そして何を歴史から見出すか、そして未来へ受け継ぐかである。
帰国してからも多忙だが、結論を見つめながら、夢に見ながらウムカイスを明らかにしていきたい。待っててくれよウムカイス。
by matsumotoken | 2007-03-16 21:31

アンマンに雪が降る

  今日はウムカイスも空が真っ暗、低い黒い雨雲、聞くところではアンマンは雪が降り、思うように仕事ができないようだ。私の部屋には白いカーテンの掛かった窓がある。そのカーテンを開けてみると、なんと窓は結露が激しく、窓の下の部分は水気が多く、その下の壁の部分には何とカビが生えて、黒い点々が細い帯を作っている。また角から水が滴り落ちた後が残っている。以前、箪笥の中の下着がびっしょり水を吸って濡れていたことを報告しましたが、結露、湿気で、雨水漏れで部屋の中が湿気で満タン状態のようだ。やはりヨルダンでのヨルダン渓谷よりの高地では雨も多いし、湿気も多い。西部の乾燥地帯とは様相を異にするようだ。
本来ならば今日インクが入ってくる予定だったのがまた明後日になった。なかなかヨルダンでは思うようにことは進まない。日本の時間間隔だと平均3倍は時間がかかる感じである。今日はそのことで現場では仕事にならず、私は経費の計算、特に領収書の整理である。出来る限りの領収書を取っておかねばそれだけ自腹になってしまう。事務処理は大事だが、こればかりに時間をかけていると何のための経費かと疑問を抱く。税金だけではなく公費をつかうっているのだから、当然きちんと生産しなければならないことは十分承知しているが、事務員をつけてくれると我々にとってはありがたい。無理は承知しているが。
 それはそれで事務処理をきちんと済ませる一方で、それだけの成果を出すことが強く望まれる。ただこれも焦ってやっても容易に成果がでるものではない。じっくりと考えながら一歩一歩進める以外に方法はない。

シリアのイラクの国境に近いとところに位置する初期王朝時代、また古バビロニア時代にもっともメソポタミアとの関係を密にしたマリ遺跡(キシュ遺跡を彷彿とさせる)
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by matsumotoken | 2007-03-16 00:52

ウムカイスの空は大荒れ


 今日は今朝から雨が降ったり止んだり、しかし空の模様は極端で晴れたり降ったりといったところ。10時にはアンマンへ車で出発。イルビットから今度新しい道が開通した。それはキングアブドッラ病院までまっすぐの新しい道路である。これも病院へのための道路のようだ。ところが病院の隣にも新しい建物群、これはテクニカル大学でヨルダン最大とのこと。こんなところに巨大な病院があっても誰がくるのだろうとおもっていたら、今度は工科大学を新設。やることがすごい。特に病院は巨大な病院があちこち建設されている。誰が入るのだろうかと人事ながら心配である。恐らく治療費も高いだろう。
そこで一路アンマンへ、ところが雨が強く振り出し、遂には雹も降りだした。フロントガラスにたたきつける。こんな時期にと思ったが、夕方帰るころには雪も降りだした。明日はアンマンは雪という?ということで11時45分にはアンマンへ少々早く着いたので、宿舎で書類の点検、共同調査の書類を追加した。そしえJICAで打ち合わせ、今後の研修の方針。そしてDOAに行く。話し込んでいたので少々遅刻。それでも長官は快く受け入れてくれた。そこで2時半から3時50分までいろいろと話があった。全体的には友好のうちに打ち合わせが終了した。その足ですぐにアラブメディカルセンターへ行く、最終診断である。結果は順調で問題ないが、血圧を下げる薬は飲み続けるようにとのことであった。血圧はどう下げるのか私には分からない。帰国したら医者に相談してみよう。西崎さん、ありがとうございました。おかげで大事に至らずにすみそうです。それで一応今日の仕事は終了。ウムカイスには6時50分頃に到着。到着前にウムカイスの空で雷(Raad)が響いた。
by matsumotoken | 2007-03-15 02:30
心は次第に帰る気分になってきた。今日福原君、堀岡さんが帰国する。帰れば4月からまた勉強だ。がんばれ!戸田先生は3月30日まで等高線をジャファーと組んでさらに良い測量をしてくれることになってきる。
我々松本、後藤は7日に帰国する。明日は長官にあって、次回のシーズンの相談だ。
その中でも今年の夏こそ、ここを発掘しよう。ここは何処だ。下記写真参照。
これは最初に長官が助言してくれていたところ。3年目に入る、いろいろなことも少し解ってきた。準備も整ってきた。物理探査、地中レーダーの反応も上々、後はアッラーケリーム(神のご加護を待つのみ)。もちろん今までの発掘地は継続、貯水プール、墓が出てくるだろう。何が出てくるか解らない。それが発掘だ。
来たれ! 考古学、文化遺産学を志す若き学徒諸君、待っているぞ。
夏には遺跡の中にディッグハウス(倉庫、整理室)の一部が完成する。
そこはすばらしい景観を見ることができる。
乞うご期待!

特別夕食のロアイ(コック)の料理も次のシーズンはない。近く警察官(事務)になるらしい。
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ご苦労さん福原君、堀岡さん
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ドイツ隊によって主道路の南側に発掘された聖人の墓
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墓の上にはバシリカ(教会)
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これが丁度主道路を挟んで対面する南側に墓が位置するであろう地区(発掘地)
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by matsumotoken | 2007-03-13 16:32
今日は朝から少々砂嵐気味。明日は雨という天気予報。空も砂埃のような見通しの利かない空。そこでラストデイということで戸田先生、福原君、堀岡さんコンビの測量にも力が入る。それにして花が一面に咲いている。満開だー 

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by matsumotoken | 2007-03-12 21:26
今日は2007.0311日、3月7日からシリアへ4泊5日間の旅といっては怒られます。シリア、ビシュリ山系での調査研究でした。詳しくは後で紹介します。少々今はターバン(疲れ)です、というかウムカイスの打ち合わせが先なので悪しからず。
行ったルートだけでも

3/7 Umm Qais ー Irbi t- Damascus - 3/8 Der el-Zor - ar Raqa - 3/9 Der el-Zor - Dura Europos - Mari - Der el-Zor - 3/.10 Bishri - ar Rasafu - al Monsura - al Kom] - Palmyra - 3/11 Damascus - Irbit - Umm Qais

ダマスカス(背後に風呂(ハンマム)が見える
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ユーフラテス川(自然が残る川岸)
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今のユーフラテス川両川岸はこうした小麦の畑が続く。
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城壁で囲まれたハラビエ(ゼノビア)
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対岸の台地上に残るザラビエ
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今なお威厳を誇るカラットハラバ城
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遠くに見える巨大なドゥラユーロポス
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メソポタミア文化そのものが残るマリ遺跡
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by matsumotoken | 2007-03-12 00:35
今日は朝にはシリア大使館へ入国ビザを入手へ、ところがやはりまだ来ていないので、来たら連絡するということで、係りの人がモバイル番号やパスポート番号などを控えた。それで終わり、その後銀行にいく。振込み作業を終えて、ベーコンを買おうと何時もの店へ、ところがしまっていた。そこで帰って西浦さんと別れて(4時頃帰国へ)、後藤君とウムカイスへ帰る。遠くに見えるヘルモン山は今日はくっきりと見える。こんなにくっきりと見えたことはない、初めてである。帰ってきたが鍵話し、少々待って、ロアイ、ジャッファーが帰ってきた。ジャファーとは明日からのシリア行きの打ち合わせ、ダマスカスまで何もなければ1時間だと言う。念のため、アイマン運転手の車で行くことにした。1日ガソリン代別で40JDとのこと。手を打つ。明日10時に出発。国境越えてダマスまで行くことになるが、果たして通過することができるか。ウムカイス宿舎では堀岡さんも元気に手伝いしてくれているようだ。
明日は明日、何が起こるか解らない。
by matsumotoken | 2007-03-07 00:23