2005年春から始まった発掘調査の概報をお伝えします。


by matsumotoken

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帰ってきました

28日夜何と11時に帰宅。初めてのカタール航空だった。昔20年前くらいにトランジットでドーハの町の何処かのホテルで泊まったことがある。その時は何処かで見たことのあるワンパターンの町で建物のデザインも緑化も必至になって、砂漠に町を作っているという感じがした。今はこの空港を見てる感じではドバイなどに負けないようにと思っているがまだそこまで実行できないでいるという雰囲気だ。そういうことは空港を見た感じですぐにそのお国の事情が見えてくる。海外旅行をしている人たちはその点はすぐに解る。日本の空港だってそういうように世界から見られている。観光立国とは政府が思っている思惑とはまた違うところがあるから面白い。その点は海外を知る必要がるし、学ぶところが多い。ところで行きはアラビア語研修の学生を連れてのことでいろいろな面にまで目がいかなかったが、帰りは一人で、ゆっくりと帰ってきた。飛行機も混んでなかったので、まーゆっくり練れた、ただドーハは飛行場が小さいし、時間を過ごすのは(行きは7時間ぐらい、帰りは4時間ぐらい)ちょっと物足りない。何とかしてほしい、また客もエミレーツがいっぱいだったから、また少々安いから来ているという感じ(私がそうだから)。もっとドバイとは違う空港にまた飛行機とその機内、サービスにして欲しい。とここで言ってもしょうがない。
今は2日の楓門祭での発表会(文化遺産プロジェクトのウムカイスの発掘報告会、藤井秀夫名誉教授のアッタール出土の織物についての講演)世田谷、梅が丘キャンパス、の準備と上智大学での生涯教育の授業(11月4日)、またシカゴ大学でのキシュ遺跡のシンポ(11月5、6日)の準備をしている。日本は確かに美しい国だ、ただ何か心の美しさが薄くなってきているような感じがする。それが自分か、日本人か、人間か?それが文化か?
by matsumotoken | 2008-10-31 10:34

UQ2008年発掘調査終了

10月27日にアンマンを出て、一時帰国する。これで一応2008年のUmmQaisの調査は終了する。勿論後には遺物整理などなどが残されている。今回で明らかになったことは大きく層位が4つに以上になるだろうということ。上からいくと、近代に塹壕が掘り込まれた施設と表層、次にモザイク床と恐らくバサルトの基礎壁、その下が白い石灰岩の小さな礫、粉状の堆積層、そしてその白い石灰岩層に埋まった住居?跡漆喰付きの厚い壁、さらにその下に古そうな壁がある。と言ったところでその下は未発掘。問題はその年代、今我々の発掘地で出てきている遺物はほとんどビザンチン時代の土器恐らく6世紀頃、しかしこれらの層位をすべてビザンチンと考えるのは少々無理がある。かといってより古そうな土器片(ローマ時代?)は今のところ、最下層に僅かに、しかしいままで発掘していた中で、軍隊に伴う遺物は別として、新しい遺物は小片の釉薬つき陶器の数片のみ、恐らくアユーブマムルーク時代である。これでは量的にビザンチンとしか言いようがない。勿論遺構の構造状況もあわせて考察をしなければならないが、なかなか簡単には年代決定できない。今までもドイツ隊を中心に色々と年代論争はされてきたが、まだまだ未解決の遺構や層位が多い。今から遺物整理の方も楽しみだ。
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今日も雨が降った、この雨季は皆に絶対必要な水の確保の時期だ、我々も遺跡の高いところから溝を入れて雨が降ったらその雨水を集めて地下の貯水槽に集める。我々の地下の貯水槽は175立方メートル(Jaffar計算)、4年間くらいの生活水は大丈夫とのこと。こうして古代から皆天水に助けられて生きてきたのであろう。
by matsumotoken | 2008-10-26 04:08

文化遺産とは何か?

文化遺産とは何か?ということを中東にいるとつくづく考えさせられる。自国の文化、歴史に対してどう思っているかである。これはそれぞれ各国、各国、各人で全く違うことが多い。それはそれで良いのだが、やはりその中に自分の経験や歴史を活かして引き継いで欲しいと思うのは人であれば皆思っていることだろう。やはりそれが文化遺産学の原点であり尚それがまたみんなのための文化遺産ということだろう。それをどう皆に伝えていくかを研究していくのかが文化遺産学であると信じている。それは従来の考古学とか、修復保存学とか歴史学だけでは伝わらないことがあるから今日問題になっている。それは文化遺産学だけの一分野だけではなく、文化遺産活用、教育、観光などで、他の例えば医療などの分野までその縦割り世界にまで広がっている。
今後、皆のための自然環境、みんなの為の文化遺産、みんなの為の保存修復、みんなのための活用、博物館、観光、と言うようになっていくだろうし、それが今求められている。
世界の文化遺産の開発は進んでいる。もっと我々日本人もそれが日本のやり方だというだけではなく、もっと世界の各地域の文化遺産への取り組み方などを勉強すべきではないかと思う今日この頃です。文化遺産学が更に発展していくためにも必要のようです。
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今日も真っ赤な太陽がUQに昇る、昨夜は雷雨が、それでもまだまだ30度は優に超える。
でも今が最高の季節・
by matsumotoken | 2008-10-24 05:57

再びヌール嬢登場

発掘も終盤ギリギリのところまで来たので、最後の締めくくりをしようと、少々テンションが上がっているところ。と言うのもモザイクの範囲が広がるばかりで、特に北側の限界がつかめないでいるからだ。此処までだと思ってJ12を掘ってみたが、まだ北へ延びる、すぐ北側はサラーメが車でベートオマリーまで乗りつける道路なのでこれ以上は掘れない、それでも限界が分からないと、次期シーズンの目処がたたない、そこでえい!ヤーと5m超えて、L12を発掘するか。というところ、そこはもう平山君が城壁を掘っていた隣りのグリッドだ。それにしても広大な、恐らく南北30mは成るだろう、東西は壊れているが、出土したところでもおおよそ15mはある。そこに企画された四角に区切られたデザインが4区画以上色々な色でモザイクに表現されている。考えてみても面白そうだ、多分教会であろうけれど、教会と一口に言っても時期や場所でいろいろとある。さてどんな教会になるか、来シーズンに明らかになるでしょう。
今日はいよいよヌール嬢が本格的にモザイクの修復のための方法の実験をさせてくれというので、完全重装備のヌール嬢が現場に登場。サングラスが似合っていますね。今はウムカイスも初秋の感じですが、でもまだ私は半袖です。一番今が発掘には良い季節です。
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ヌール嬢の後ろは軍隊の塹壕のためにかなり壊されていますが、モザイクが広がっています。
頑張るヌール嬢。
by matsumotoken | 2008-10-21 04:20
何処を発掘してもモザイクが出てくる、しかも地表から僅か20cm~40cm位で出てくる。色々な状況で出てくる、ぼろぼろですぐにもばらばらになってしまいそうな状況、それとは逆に一面がしっかりとモザイク床をなし、掘り返さない限りびっしりと隙間なく敷かれている場合などなどの状況がある。どちらにしてもそれらを保存処置しなkればならない。現地ではモザイクの周り、すなわち縁をモルタルで崩れを止める処置をする、そして砂を被せておくというのが一般的だ。大規模に保存処置をしているにがマダバやペトラのようにその保存処置をした後に覆い屋根を架けて、またモザイクが良く観れるように渡り廊下のようなものを造って観光客などに披露している。それは今後の問題なのだが、今出ているだけではモザイクの表面が石灰交じりの泥がしっかりと着いていて、どんな色なのか分からない、またデザインも分かりにくい。ということで少しどんな状況なのか部分的に磨いてみることにした。するとジャファーが急に張り切ってやりだした。俺はあちこちでこうしてモザイクを磨いてきたと言って、手スコップで、金属製のヘラでがりがりとこすりだした。がりがりーと何度も、すると一部でははがれるようにして地肌が見えてきた。黒い、白いなど、すると次に水をジャバーとかけて、ブラシで今度はごしごしとこすりだした、また泥が溶けるような状況で、形や色が出てきた。こんな乱暴な?やり方でええの~と言う感じだが、この方法が何処でもとられているとジャファーは言う。考えてみれば相手は石の場合がほとんどで、それを磨いて、或いは水をかけて掃除していただろうし、その上を裸足やサンダルで歩いていたのだろうから、それだけしっかりと作られていたはずなので、こうした掃除も良いのかな?とも思う。ま本格的には西浦さんが来月には来て、処置してくれると言うので待っています。とりあえず今は覆い屋根やシートをかけて保護している次第。

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がりがり

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ごしごし
by matsumotoken | 2008-10-20 02:06
ウムカイス遺跡の中にはオリーブの木が多く植えてあって、それなりの雰囲気を醸し出している。ところが発掘をする場合どうしても切り倒さねば成らない時がある。これらのオリーブは50年くらい経っているであろうか?大きく毎年たくさんの実をつける。それらを切らねばならない!ごめんなさい。  その根が地下でモザイク床の上に根を張っていた。ところがモザイク床の弱いところを見つけ、そこから地下へ根を下ろす。カンボジアなどでの熱帯での植物の蔓や根が遺跡を壊すと言う問題を思い出した。そこまでは被害は大きくないのだが、何とか人間と遺跡と共存出来ないものか。現地の作業員は切り倒してそれを燃料に出来るので喜んで切り刻む。
ただ天然の野生に育っている木は切るのに許可が要るそうである。
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オリーブの大木だったのが切り倒されて一部がモザイクの床を突き抜けていた。何だか盆栽のような芸術的な感じだ。
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考古学と樹木は敵対関係にあるか?
by matsumotoken | 2008-10-18 01:11
実は雨が降ったのは水曜日15日である。その前の日は東の風で曇り、そろそろ雨だなと、また季節の変わり目だなと思ったところだった。雨が降った。現地の作業員も皆喜んでいる、アッラーアクバルと言っている人もいる。ジャファーも強いて?雨の降る中に身を出している。これほど雨は人々の気持ちを幸福感や豊かさをもたらす。アブガッサーニーはシテ(冬)が来たといって、かわいい顔をさらに嬉しそうな顔にする。
ところが私は少々多忙となった。モザイクや壁画の出ているところにシートをかけなくてはならない。特にプラスターは一度雨に遭うと剥離してしまう。厄介である。高松塚みたいに数億円と時間をかければ少しは余裕をもって対応できるかな?というところ。しかしそんなところではない。覆い屋根も雨のシーズンに備えて作った。これを架けていれば当分は大丈夫だろう。しかし狭い範囲ではない、発掘すればまた出る。さてさてどうする。ただ雨はまだ本格的にはふらない。おそらく雨は、1月、2月であおう。先日出たモザイク床も石灰が被っていて灰色で本当の色が分からない、近いうちに少し磨いて色を出してみようと思っている。さてどんな色が、どんな文様が出てくるか?
またこれを機会にウムカイス博物館のモザイクもちょっと見てみるかな?違う雰囲気で!
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こうして数年も遺跡を護って行くことはできない、先方に見えるのが今度作った5mx5mの覆い屋根。もしモザイクがとても重要なことがあれば、それは覆い屋根をつくって一般に公開しながら、保存していく必要がある。モザイクを発掘したと言う感激と同時に如何にして護っていくかと心配になる。アッラーケリーム。
by matsumotoken | 2008-10-17 22:35
今までも狭い範囲でモザイクがでていたが、H12グリッドでは全体にモザイクが出た。そして東側のセクションに沿って大きい石が並んでいるので、そこが恐らく建物の壁であり、出入り口?になるのかも知れない。その出入り口の東側、H13には既にモザイク床が出ている。一体全体こうも広い範囲でモザイクが出る施設、建物とは一体何なのか?恐らくビザンチン時代の教会か?これからがまた楽しみだ。毎日が新しい発見だ。
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出土したときはモザイクは石灰が表面に覆っていて、全体に白っぽくて色がない、これを後で磨く。すると赤や白の色彩豊かな色が蘇る。テッサラの破片を見ていると赤色は土器で作られているように見える。
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色々な幾何学文様?が姿を現した。
by matsumotoken | 2008-10-16 00:34

蛇がでた~~~。

遺物を納める倉庫が足りないくなってきた。そこで遺跡内にある防空壕を掃除して、倉庫に使いたいと申しいれる。そこで同時に掃除をしてみる。使えるかな?
そこはしかし蛇やムカデの巣でもあった。そこから出てきた蛇やムカデ。
これはアラビア語Afaと言う。学術語ではRoth's Dwarf Eacerと言うらしい。私が調べたところでは。頭の黒いのが特徴だ。
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この細い階段を下ると地下壕が
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そこには蛇や、ムカデなどが、この蛇もやがて1m近くなるらしい。
by matsumotoken | 2008-10-15 03:49
以前に我々が碑文付きの円柱を発見したことを掲載しましたが、何~~んと既にドイツ隊によって発見されていた?しかもそれが野ざらしにして置いてあった。何時も見ているところだが、ニンフェウムの対面の地下水路が発掘されているところ、テラスの北側斜面である。
これは恐らくUMMQAISの報告書に解読され翻訳がのっているはずだ、ここにはない、私が見たところでは形式や文字は同じだが、内容が違う、文章が違う。
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by matsumotoken | 2008-10-15 02:23