2005年春から始まった発掘調査の概報をお伝えします。


by matsumotoken

とりあえず帰国します。

 20180930日、ビザの期間は最大3ヶ月なので一旦外に出なければなりません。私の場合は医者に見てもらう必要があるので、3ヶ月以内と決めていました。細かいことはまた帰国して綴ります。とにかく今回が3D写真がジョンマが撮れる様になったことは収穫、まだ撮らねばならない遺物が沢山あるので、私が居なくても徐々にでも薦めて行く事が出来そうです。しかし遺物も土器だけでなくランプ、テラコッタ、ガラス片、骨、鉄製品などいろいろで、これが自由に取れるようになることを目指しています。遺物整理を進めながら、3D撮影を進めていきます。いろいろ試しながらやっています。何とか軌道に乗るでしょう。そろそろ空港に行かねばなりません。今度戻ってくるのは何時になるかな、何よりも健康第一。コラーンが鳴り響いてきました。午後4時5分です。では一旦帰国します。
# by matsumotoken | 2018-09-30 22:08 | Trackback | Comments(0)
ウムカイスの円形劇場が或は大通りがクリーニングされ、少しずつ、きれいになっていく。それに対し、我々も協力して、修復などやるぞという意気込みを前便のブログで報告しましたが、協力といっても個人ではなかなか円形劇場のような大遺跡をそう簡単に修復などできません。そこでアンマンのJICA事務所を9月19日に訪ねてみました。JICAはアンマンのヨルダン博物館に続いて現在ではペトラの博物館建設に資金提供しています。いろいろと問題もあるところでしょうが、その他の文化遺産の修復も含め多大な貢献をしており、評価も高いものがあります。そこでペトラ。ジャラシュ、次はウムカイスも修復プロジェクトの候補に挙げて、何とか支援がしてもらえないかとJICAを訪ねたのですが、そして担当の方々にウムカイスには来られたでしょうから、説明は要らないかもしれませんが、と言ったところ、ショッキングな返事が返ってきた、実は行っていないんです、いや行けないんです。えっ????、えっ~~~っ! 行けないとは? JICAの職員、専門家、ボランティアは北ヨルダンのイルビット、ウムカイスは立ち入り禁止です。との返事で、私の頭は混乱してしまった。確かにウムカイスはシリアとヨルダンの国境にあるのだが。外務省の安全の段階も2で黄色、一般の旅行者も来れる段階なのだが?それに対し、JICAもボランティアなどのいわば専門家でない人も各地に派遣しており、ウムカイスは安全でないということでいけないことになっていますとのこと。何だか腑に落ちない、釈然としない気分になってきた。以前の2016年頃よりも情勢は悪化していることJICAは判断されているのだ。外務省の安全度は以前と同じなのだが、どうなっているのだろう?どうすればいいのだろう?その時に2015年だったか、JICAで、バグダッドへ派遣されたことがあったのだが、その時に同行された職員の方が来られて懐かしかったが、現在はシリアの担当でもあるとのこと。JICAが外務省の安全基準よりも更に厳しく受け止め、シリアやイラクなどにもなかなか派遣されないとなると、さらにそれらの復興は遅れることになるであろうし、文化遺産の復興は更に遅れることになることは明らかである。などなど私の頭の中は更に問題が拡大していく。これで長期的に考えると、文化遺産の復興がようやく本格的に始まる頃にはまた次の何かが、あるいは紛争が起こり、破壊され、略奪されることになる。それまで私は待てない、早く中東に平和が来ることを願うだけ、アッラーケリーム。
そこでウムカイスには少なくとも日本人は来れなくなったし(因みにドイツ隊は着ており、アクロポリスの発掘、そして今後は石工さんの育成を計画している)、支援もないので、初心に戻り、われわれが発掘した遺物の整理、円柱の修復などをjafarとしながら報告書を書こうと今は思っている。そのうち状況も好転するだろう。インシャーアッラー!

# by matsumotoken | 2018-09-21 02:43 | Trackback | Comments(1)
朝夕、動物たちにも動きが見られるようになって来ました。久しぶりにカメレオン、発掘していた2014年頃かな、木に隠れていたカメレオンや岩の間に居たカメレオンをみた学生が手に乗せてはしゃいでいたのを思いまだしました、このブログにたぶん乗っているでしょう。まだこのウムカイスにも自然が残っているというので少しほっとします。今の季節動物たちにとって緑の草も無く、枯れたとげしかない草が乾燥した台地に残っているだけ、僅かに食べれそうなものも羊や山羊、放牧された牛、馬などに食べつくされ、どこに食べれる草があるのだろうと思うくらいの全くという食物のない季節なのです。人間も本来同様の苦しい時期なのです。この苦しい時期を乗り越えてやようやく雨が降り出すのが11月~12月でしょうか。ただ少し何処かに水や湿気を感じます。また私の体調のせいかもしれませんが、何故か汗が出てきます。季節の変わり目でしょう。そんな中歯が痛くなり、夜も眠れず、遂にイルビットの歯医者へ、ジャファーの紹介の医者で海外で学んできたらしい。歯医者の建物も新しい、看護婦さんも若い人、それだけに怖い、心臓漠々というところ、かなりたかが麻酔でもかなり、いたっ~~!!、がりごりと強烈な音、というように治療が終わった、とにかく一件落着、帰りには3種類の薬、これがまた粒がでかい、日本の歯医者さんの処方は小さいタブレット。効き目もすごそ~~。とにかく海外なのだから、医者の言うことは聞いておかないとひどいめにあいそうなので、大粒の薬を一気にごくり、ということで一件落着。元気にやっております。

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カメレオンで~~す。
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結構強烈に効きそう!

# by matsumotoken | 2018-09-20 02:52 | Trackback | Comments(0)

西円形劇場、修復進むか

モーサ主任とでも言ったらいいのかウムカイスのDOAの責任者、その上の責任者はイルビット地区全体の責任者でアムジェットですが、DOAヨルダン考古庁長官が契約が切れたので辞任してヤルムーク大学に戻り、現在長官は不在、という理由なのか、ウムカイスでは何故か資金があるらしく、作業員を50人くらい雇っている。そこで円形劇場を含む、メイン通り、など各地でクリーニングを行っており、この西円形劇場の劇場の南外側も発掘が進む。あちこちの特に大通りは今では行事のようなもの、他にやることあるでしょうといいたいところだが、新任なり、資金が急に入ってきたりすると、大通りの掃除である。もちろん政府の目的は作業員に賃金を払うというところが考古遺跡での発掘作業の最も重要な目的ともなっていたりするのだが、少しは使い方があるでしょうと言いたい。ということで西円形劇場での修復状況が下記の写真である。相変わらず、日本が供与した小型クレーンやシャベルが活躍している。それでも何時も大型クレーンが必要だと攻められている。
この状況が更に進む、作業員が、石を積み上げている、果たして、どうなる? 大丈夫か?
世界に誇る古代ローマ帝国の建築・土木技術がこの円形劇場に詰まっている。その構造や石造建築に、システムというか、理論に基づいた流れ、リズム、システムが見られる。そのシステムが解ればそう難しいものではないが、それには一個一個の切石の詳細な実測による数字を知ることだ。そうするといろいろな隠れたマジックが見えてくる。そこが面白い。興味ある人大歓迎! あれ、小野さんは?何処にいる? 出番ですよ!! 


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ウム・カイス、西円形劇場修復



# by matsumotoken | 2018-09-19 00:04 | Trackback | Comments(1)
ニュースと言えばやはり一応、皆様には報告しておかねばならないでしょう。
 2018年9月10にパリのユネスコ本部でモスルの復興会議なるものが開かれまして、何故か1ヶ月前に連絡があって、会議に出席してくれないかとの話で、その具体的な話は何時ものことですが、前日に始めてプログラムが決定するような国際会議です、国際会議は何処でも恐らく同じでしょう、裏ではぎりぎりの交渉がなされているのでしょう。そして私は9月9日にアンマンからパリに出て、その夜はパリで泊で、次の日10日10:00から

Audrey Azoulay, Director General of UNESCO

Mahdi Al-Alak, Secretary General, Councilof Ministry, Republic of Iraqなどユネスコ関係、イラクの政府関係者が次々に発表。モスルの午前中に終わったところで、UAE がモスールのal-Hadba Minaret, al-Nuri Mosqueの修復について、500万ドルの支援を行うことは何度も発表されたが、今回新たにイタリアが100万ドルの支援を実施すると報告された。その他は諸々研修など支援しますと各国から発表。ところが日本からは具体的数字は発表されず、今後も継続して支援していきますなどで挨拶のみ。何か政治的な事情があるのでしょうが、少なくとも私にとっては、盛り上がらない会議であった。さらに通常は我々のようなイラクの専門家が各国から呼ばれて、どのように修復するのか検討されるはずの委員会なりが設立されて修復が進められるべきなのだが、今回はその会議が円卓になっておらず、一方的に話を聞くだけの講演会のようなものであった。2003年のイラク戦争後のイラクの文化遺産復興支援調整会議(ICC)はイラクの専門家が各国から招集されて、現地での被害状況を調査して、それに対してどのような復興がなされるべきかが討議され、各国から特に日本やイタリアは多額の支援金が拠出された。しかしながら現地イラクへは行けないことから、その支援の一つとして、文化遺産の第三国研修をヨルダン、ウムカイスで5年間(2005年ー2010年)+2年間(フォローアップ)実施してきたのである。そこにイラクの研修生(イラクの考古遺産庁の職員約20人)たちとの交流も行われるようになり、今日まで、続いている。この研修に関わってきた仲間はこの事情を経験してきたことから、恐らく北イラクモスルの文化遺産の復興には当然のように日本やイタリアからも支援がなされるだろうと言うことは考えていた。しかしこれも時代の流れなのか、日本の事情の変化なのか?今度こそ、近いうちにイラクで発掘や調査が出来るようになるだろう、仕事が出来るようになるだろうと思っていた人たちにとって、またイラク側にとっても、当てが外れたというところでしょうか。今後イラクとの関係が心配されるが、しかしながら私は近いうちに日本からの支援が検討されるだろうと確信している。我々、特にこのブログを読んでくれている人たちは、文化遺産に強い関心を持っている人たちであることは解っているのだが、そこで是非皆さんもイラクの文化遺産がISによって破壊されましたが、この復興に対し、我々に何ができるでしょうか、考えて欲しいのです。私なりの考えは日本政府側にも提案はしてありますが、会議が終わって帰るときに前のICCメンバーの英国のDr.John CurtisとイタリアのDr.Parapettiはsee you soon!といっておりました。すなわち近いうちに専門家会議がひらかれるだろうということと私は理解しました。また帰りに考古遺産庁長官と言うより、文化副大臣のDr.Caisiさんに挨拶に行ったら、早くウムカイスを引き揚げてイラクに来てくれ!と言ったのか来い!と言ったのかは定かではないが、そういう風に聞こえました。早くイラクへ行けるようになると良いですね。アッラーケリーム! ウム・カイスの宿舎からの報告でした。

# by matsumotoken | 2018-09-16 03:40 | Trackback | Comments(0)