2005年春から始まった発掘調査の概報をお伝えします。


by matsumotoken

いざ! 沙漠へ

土曜日3日である、気を入れなおして、7時にウムカイスを出発、イルビットの途中では低い雲がたちこもっていた、雲海だと後藤君、そして9時前にアンマン宿舎へ、荷をおろしてイラク人を迎えにシャムパレスホテルへ、そこで由美子さんから明日のぺトラ行きの予定表をもらう。そしてアズラックの自然保護区へまっしぐら。途中、キャスルがあったが、後回し。2時間ほどでアズラックへ到着、そして湖沼地帯へ、入り口らしきところに建物があり、入場料とのこと、いろいろと説明があり、ようやく入場。すぐには水が豊富で、また魚もいてそれらしい。とこまたところが葦の林に入ると枯れた葦ばかりで新芽が出ていない。通りがあるのだが、水がきた形跡がない。完全に干しあがってしまている。今では逆に水を補充しているのが実情である。資料館もあったが、これらの水はアンマン市民のための飲料水になっているところから、解決策はないとのあきらめの状況。
その後チャイの休憩
 その中で、いろいろな話になった。今日はGPSの使い方を研修ということで後藤君を連れてきた。それはJICAが研修後にGPSを貸すと言うので、使えるようにしておく必要があるからだ。GPSは今回で3回目の研修である。ただこのGPSを特に使いたがっているのが、南イラクのナスリアにいるアリーである。沼沢地に水が引き込まれて、だんだん水嵩が増えているのである。このなかで遺跡の分布を必死になって調査しているのがアリーである。この問題は私も以前から水を入れて沼沢地を復元する前に遺跡の調査をすべきであると唱えてきた一人である。そのためアリーの活動は何とか支援したいと考えていた。それがいよいよ時期であると考えた。それは研修生が皆ある程度研修を受けて、GPSも使えるし、データベースも作れるようになったし、トレンチを入れて調査もできるようになってきた。まだまだ測量はやることは多いが、基礎的なことが出来るようになってきたことだ。そして南イラクの沼沢地での遺跡がかなりの数の数百以上の遺跡が新たに見出されているからだ。これをデータベースを作成するだけでなく、調査する必要がある。そうしないと再び水面下に沈むことになる。今こそメソポタミア文明の起源を明らかにするときである。また古環境も調査するときである。それについて、このGPSを使ってとにかく分布調査する。そしてその情報をくれれば日本側でそれを衛星画像図の中に落とす。また等高線の中に落とすことによって、遺跡の分布状況が明確になる。それとUNEPの湿原復元計画とを照らせ合わせて、調査計画を組んで調査して行く。
また日本の国内に、またUNESCOに訴えて資金援助を訴える。もちろんSBAHにも訴えて共同で調査を進めると同時に保存計画、博物館計画をも進めて行くことが必要だ。イラクでの研修生はいつでもこの湿原地帯での調査には出かける用意があるとの力強い意気込み受けた。
あとは早めにこの具体的な計画を組んで進めるかである。このBlogを読んでいる人是非この計画に協力と理解をしてください。
続いてQasr Amraこの遺跡はウマイヤ朝の離宮で壁画なども残っている。これも世界遺産である。この後はQasr Kharanaそしてその周辺にあるという続旧石器時代の遺跡を観る。
皆にもこの砂漠地帯に人々が住むようになったかを考えてほしいとこの先史時代を紹介した。
沼沢地、沙漠、考古遺跡などの環境と文化遺産の関係を考えてほしいのである。
夕方着いたのが4時である。

干上がったアズラック湖沼地帯
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わずかに残る沼地
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沼の中には魚が
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渡り鳥のコース(今は水鳥が少し浮かんでいる)
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王宮内の壁画(イスラムは偶像は書いてはいけないのでは?)
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ウマイヤ朝の王宮(王たちは沙漠で遊休を楽しんだ)
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その周辺にはフリントの産地のようで石器がつられたようだ。
旧石器、続旧石器時代の遺跡もあるという。
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王宮が沙漠にあちこち建てられている(イラクのウハイダルに似ているとフセインも唱える)
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アンマンハウスの庭に咲いた杏?の花
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by matsumotoken | 2007-03-04 00:17